いつの時代も天才と呼ばれるプレーヤーはいます。
Jリーグにも「10年に1人の天才」などと言われながらも、輝けなかった選手たちが存在します。
輝けなかった理由は、怪我やチーム事情など様々です。
今回はそんな天才と呼ばれながらも、Jリーグで思ったように活躍できなかった選手たちを紹介します。
俺を出せば勝てる!石塚啓次
高校サッカー選手権に金髪頭にピアスをした風貌で登場し、世間を驚かせました。
高校卒業後、当時人気絶頂にあったヴェルディ川崎に入団し、その派手な風貌と天才的なパスワークで人気者に。
勝利後のインタビューでは「僕を出したら優勝できるんでよろしくお願いします。」と貫禄の一言!
オリンピック日本代表に選出されますが、合宿に行かずに不参加となったという凄いエピソードの持ち主。
テクニックやセンスはピカイチでしたが、当時のヴェルディは選手層が厚く、レギュラー獲得までは至りませんでした。
石塚選手は30歳で現役を引退後、ファッションデザイナーやスペインでうどん屋を開業するなど多方面で活躍中です。
天才読売少年もJでは輝けず・・菊原史郎
全国のサッカーがうまい子供たちが集まる読売ユースにおいて、抜群のセンスで天才少年と呼ばれた菊原史郎選手。
特にドリブルやパスといった個人技術が秀でており、将来の日本代表を背負って立つとまで言われていました。
16歳という若さで日本サッカーリーグデビューを果たし、菊原選手の将来を期待したサポーターは多かったはず。
しかしその後はパッとせず、Jリーグが開幕しても怪我の影響で通算15試合の出場で現役を引退・・・。
ブラジル代表FWも認めた天才!其田秀太
高校サッカー選手権の決勝で、満員の国立競技場を沸かせた天才ドリブラー其田秀太選手。
観戦に訪れていたブラジル代表FWカレカ選手が、其田選手について「あの選手は非常に面白い!」とセンスを認めたのは有名な話。
当時日本代表で活躍していた木村和司にあやかって、「木村和司の後継者」として騒がれました。
鳴り物入りで全日空サッカークラブに入団しましたが、活躍はできず。
チームを転々とし、Jリーグでは僅か17試合で1ゴールに終わっています。
小野伸二が「神様」と呼ぶ男 山崎光太郎
名門・清水東高校で背番号10番を背負い、U-17選手権にU-17日本代表のキャプテン(背番号10番)として出場した山崎選手。
あの天才MF小野伸二選手が「光太郎さんは本当に神様」と崇拝するほど輝いていました。
山崎選手といえば、なんといっても独特なリズムのドリブル。小柄ながらDFを翻弄するドリブルで敵陣に切り込んでいくプレースタイルはとても鮮やかでした。
高校卒業後、名古屋グランパスエイトに入団しますが、度重なる怪我の影響でJリーグでは活躍できず引退。
現在は指導者として清水エスパルスで活躍中です。
悲運の天才プレーヤー財前宣之
あの世界の中田英寿が「ザイ(財前選手)とやるサッカーが一番楽しかった」と言うほどの天才プレーヤー財前選手。
難問である読売ユースの入団テストでボールを持った瞬間に合格通知が出たほどのポテンシャルをもった選手です。
1993年のU-17世界選手権では背番号10を背負い、玄人もうなるスルーパスやキレキレのドリブルで相手を翻弄。
当時では珍しかった海外移籍を実現し、さあこれからという時にじん帯断裂という大怪我を負ってしまいます。
その後はJ2ベガルタ仙台などで活躍しますが、当時の財前選手を知るファンから言わせてもらえば「もっともっと出来たはず」。
怪我に泣かされた悲運の天才プレーヤーでした。