目次
これまで数多くのワールドクラスの選手が活躍したJリーグ。
本人ではなく、ワールドクラスの選手の身内もJリーグでプレーしました。
今回はそんなワールドクラスの身内の選手を紹介します。
マラドーナの弟は右利きだった!ウーゴマラドーナ
あの「神の手ゴール」で有名なアルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナの弟であるウーゴ・マラドーナ。
1992年に来日すると、サガン鳥栖の前身であるPJMフューチャーズ、アビスパ福岡、コンサドーレ札幌でプレーしました。
兄のディエゴはドリブルが武器でしたが、ウーゴはパスセンスに優れた司令塔タイプの選手。
福岡や札幌では背番号10を背負い、ゲームメイクを担いました。
残念ながら2021年に心臓発作のため、52歳でこの世を去りましたが、兄にも劣らないサッカーセンスを見せてくれました。
ロナウジーニョの兄もテクニシャン? ロベルト
ロナウジーニョの9歳上の実兄として有名なロベルト・デ・アシス・モレイラ選手。
テクニシャンなプレーヤーであり、1999年に来日するとコンサドーレ札幌で背番号10を背負って1シーズンプレーしました。
現役引退後は弟・ロナウジーニョの代理人として活動していましたが、その後は脱税とマネー・ローンダリングで刑務所へ・・・。
出所後も偽造パスポートを所持して逮捕されるなど、残念なことに。
兄にも負けない輝きを発揮したルンメニゲ
2度のバロンドールを受賞し西ドイツ代表として95試合のキャリアを誇るカールハインツ・ルンメニゲの弟であるミヒャエル・ルンメニゲ。
ドイツ代表キャリアは2試合と少し寂しいですが、1993年に浦和レッズに加入すると浦和の中心選手として活躍。
Jリーグでは43試合出場13ゴールの成績を残しました。
兄は偉大なFWでしたが、弟のミヒャエルはゲームメイクができる司令塔タイプの選手でしたね。
ジーコの息子は活躍できず・・ジュニオール
あの神様ジーコの息子であるジュニオール選手。
2003年にサガン鳥栖に入団し、話題を集めましたが2試合に出場したのみで退団となりました。
ジーコと同じく、中央の司令塔タイプの選手でしたが、正直言って実力はJリーグレベルではありませんでした。
友達なら当たり前?アルシンドの息子イゴール
独特なヘアスタイルと圧倒的な得点能力で、Jリーグ開幕当時に鹿島アントラーズで活躍したブラジル人FWアルシンド選手。
そのアルシンド選手の息子のイゴールも2011年に鹿島アントラーズに入団しました。
アルシンド選手と同様にFWでプレーしましたが、僅か2試合で退団。
その後はブラジルでプレーし、2022年に再び来日し、今度はヴァンフォーレ甲府でプレー。
しかしまたもや5試合のみの出場で退団となりました・・・。