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直接フリーキックは、ゲームの展開を左右する重要な局面です。
拮抗した試合も、直接フリーキック1本でゲームが決まるということも珍しくありません。
これまでJリーグでは数々の印象に残るフリーキックのゴールが生まれてきました。
そしてフリーキックは、チームの技術や完成度、戦術に関係なく、キッカーの蹴るシュート1本で得点が決まるという特異なものです。
今回はJリーグ史上に残る名フリーキッカー5選を紹介します。
元祖ブレ玉の名手 三浦淳宏
今でこそ、ブレ玉は球種の一つとして、様々な選手が蹴っていますが、元祖ブレ玉の名手といえば三浦淳宏選手。
その予測不能は変化をするブレ玉は、番組で軌道を検証されるほど注目を集めました。
フリーキックで静めたJリーグでのゴールは歴代3位の15本。
蹴る本人も予想できない曲がりを見せるシュートをキャッチできるGKはおらず、三浦淳宏選手のフリーキックは貴重なオプションとして日本代表でも重宝されました。
日本史上ナンバーワンフリーキッカー 中村俊輔
8年間、海外移籍でJリーグを離れていたにも関わらず、フリーキックでのゴール数は史上1位の24ゴールに及びます。
大きく踏み込んで左足甲の内側で擦るように蹴るシュートは正確無比であり、世界が注目しました。
日本が誇る“ファンタジスタ”である中村俊輔選手ですが、2022年シーズンを持って現役を引退。今後は指導者として活動するとのことです。
中村選手を超えるフリーキッカーはしばらく出てこないのではないでしょうか。
魔法の左足を持つ男 エドゥー
かつてブラジル代表の10番を背負った事もあるエドゥー選手。
1993年に横浜フリューゲルスに加入すると、惚れ惚れするようなフリーキックでゴールを決めました。
「そこから狙うの?」というくらいの距離から、左足で放たれるフリーキックは驚異的なカーブを描きゴールに吸い込まれました。
Jリーグ史上に残る美しいゴールを決めるなど、記憶にも記録にも残る名手です。
1999年CSで見せた伝説のフリーキック 澤登正朗
清水エスパルスの司令塔である澤登正朗選手も非常に精度の高いフリーキックを蹴る選手でした。
澤登選手のフリーキックは、ブレ玉や驚異的なカーブなどの変化球ではなく、GKが届かないコースを狙って正確に蹴るというもの。
特に1999年のジュビロ磐田とのチャンピオンシップ第2戦で見せたゴールから27Mの距離で得たフリーキックを直接静めたシーンは語り草となっています。
日本代表としても、ラモス瑠偉本人に後継者として任命され、1995年には日本代表の背番号10を背負ってプレーしました。
狙いやすい位置を確実に決める男 遠藤保仁
2010年南アフリカワールドカップでの芸術的なフリーキックが印象的な遠藤保仁選手ですが、Jの舞台でもフリーキックで歴代2位の17ゴールを決めています。
タイミングを見計らい、柔らかなタッチで、まさにお手本のようなフリーキックを放ちます。
ペナルティエリア手前の斜め45度付近の位置でフリーキックを蹴らせたら、日本史上で遠藤保仁選手の右に出るものはいないのではないでしょうか。
日本史上NO1フリーキッカーは、芸術性では中村俊輔選手ですが、確実性では遠藤保仁選手ではないかと個人的には思います。