左サイドバック

穴と言われた時代もあった・・左サイドバックで活躍した歴代Jリーガー5選

人材不足に泣かされた日本の左サイドバック

長い日本サッカーの歴史を振り返ってみても、左サイドバックの選手の人材不足に悩まされてきました。

元来、左利きの選手が少ないうえ、ある左サイドバックの選手が起用されると、その選手と競合する選手が不在になる傾向が多かった日本代表。

ドーハの悲劇では都並選手の代わりの選手が見つからず、日本代表のウィークポイントとして注目を集めました。

しかしその後、Jリーグには優秀な左サイドバックの選手が多く誕生しています。

今回はJリーグで活躍した歴代の左サイドバックの選手を紹介します!

狂気の左サイドバック 都並敏史

所属クラブ
1980-1992 読売クラブ
1992-1995 ヴェルディ川崎
1996-1997 アビスパ福岡
1997-1998 ベルマーレ平塚

日本代表の左サイドバックを長らく務めた都並敏史選手。

左サイドバックから攻撃を組み立てられる選手で、左の攻撃陣であるラモス瑠偉、三浦カズとともに日本の生命線として活躍。

日本代表を愛してやまない都並選手についたニックネームは日の丸小僧。

学生時代は、日本代表の試合後に日の丸国旗を持ったままピッチに乱入し、ニュースになったこともあるそうです笑

日本がワールドカップ出場目前に迫った1994年、アメリカワールドカップアジア最終予選では、出場左足首を骨折しながらも、何度も痛み止めの注射を打って挑みました。

足の感覚が壊れていき、サッカー選手としての寿命が確実に縮まると分かっていても、代表の為に麻酔を打ち続けました。

それは都並選手の代わりがいなかったからに他なりません。

ついに試合への出場は叶わず、日本はワールドカップ行きを逃しましたが、骨折しながらも日本代表として出場の準備を続けたその姿から狂気の左サイドと呼ばれました。

日本代表として19歳で初出場。78試合に出場し2ゴールを決めています。

代表経験はなくとも堅実なプレーが光った片野坂知宏

所属クラブ
1990-1991 マツダSC
1990      マツダSC東洋
1992-1995 サンフレッチェ広島
1995-1999 柏レイソル
2000-2003 大分トリニータ
2000-2001 ガンバ大阪
2002      ベガルタ仙台

1994年、ワールドカップを目指す日本代表は都並選手の骨折により、急遽その穴を埋めるべく人材を探すことになります。

日本中の左サイドバックが注目を集め、サンフレッチェ広島で活躍していた片野坂知宏選手も候補に挙がりました。

片野坂知宏選手は、右利きながら正確な左のキックが持ち味。守備に定評がありましたが、スピードに乗ったオーバーラップからの攻撃参加も魅力でした。

しかし当時の日本代表監督のハンス・オフトは都並選手のような超攻撃型の左サイドバックを求めていたため、代表に呼ばれることはありませんでした。

現役引退後は、指導者と活躍。大分トリニータやガンバ大阪で監督を務めました。

左サイドバックをストロングポイントに変えた男 相馬直樹

所属クラブ
1994-2003 鹿島アントラーズ
2002      東京ヴェルディ1969
2004-2005 川崎フロンターレ

1994年、鹿島アントラーズに入団後、新人ながら左サイドバックのレギュラーを獲得。

1995年に日本代表に初招集されると、不動の左サイドバックとしてレギュラーに定着しました。

スピードに乗ったタイミングの良いオーバーラップと、司令塔・名波浩との絶妙なコンビネーションから幾度もチャンスを演出。

それまで「穴」と言われていた左サイドバックを見事に埋めた選手でした。

フランスワールドカップでは積極的な攻撃参加で惜しいシュートを放つなど、存在感を示しました。

日本代表として24歳で初出場。58試合に出場し4ゴールを決めています。

連続出場記録を誇る鉄人 服部公太

所属クラブ
1996-2011 サンフレッチェ広島
2012      ファジアーノ岡山

2002年11月から2007年10月まで続いた「連続試合フルタイム出場」の記録を持つ服部公太選手。

怪我をしていても出場を続け、活躍するその姿から「鉄人」と呼ばれました。

高校時代は全くの無名選手ながら、正確なキックを武器にサンフレッチェ広島で活躍。

左サイドバックながら、攻撃的な選手であり、中に切り込んでのシュートも服部選手の魅力でした。

フリーキックを蹴らせても一級品であり、まさに攻守のキーマンと言える選手でしたね。

サイドバックとして必要な要素を兼ねそろえているにも関わらず、日本代表にはなぜか一度も招集されませんでした。

世界へ羽ばたいた日本一のサイドバック 長友佑都

所属クラブ
2008-2010 FC東京
2010      ACチェゼーナ (loan)
2011-2018 インテル・ミラノ
2018-2020 ガラタサライSK
2020-2021 オリンピック・マルセイユ
2021-     FC東京

日本の左サイドバックを世界レベルに引き上げた長友佑都選手。

FC東京からセリエA。チェゼーナに移籍すると一気にブレイクしました。

インテル時代はワールドクラスのFWと何度も対戦し、タッチライン際で激しいコンタクトを繰り広げました。

体幹が強く、スピードのある長友選手は、日本人の持つ機動力を世界へ知らしめた存在でもあります。

2013年にはAFCにより国際最優秀選手に選出されるなど、アジアを代表する左サイドバックとして知られています。

日本代表としては22歳で初出場し、歴代2位となる142試合に出場しています。(歴代1位は152試合で遠藤保仁選手)