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サッカーに身長なんて関係ない!小柄でも活躍した歴代Jリーガー5選

サッカーにおいて、身長が高い方が有利であるというのは間違いです。

もちろん、身長が高いと空中戦に有利だったり、フィジカルが強いと球際で有利だったりと、スポットで見れば武器になる場合もありますが、スピードやオフザボールの動きが重要視される現代サッカーにおいて、身長が高いというのは大したアドバンテージではないのです。

世界を見渡してみても、リオネル・メッシが170センチだったり、神の手で有名なディエゴ・マラドーナが165センチだったりと、小柄でも活躍している選手はたくさんいます。

今回は小柄だけど活躍したJリーガー5選を紹介します。

清水の牛若丸 向島建

所属クラブ
1992年-1996年 清水エスパルス
1997年-2001年 川崎フロンターレ

Jリーグ開幕時に活躍した清水エスパルスの向島建選手。

サイズは161センチ54キロと、当時のJリーグでは1、2を争う小ささながら、小回りの利いたドリブルや、スピードを生かした飛び出しを武器に活躍しました。

その軽快なプレースタイルからついたニックネームは「清水の牛若丸」。

Jリーグ初年度にはリーグ戦30試合で8ゴールを奪う活躍を見せました。

現役引退後にはフットサル選手としてプレーし、日本代表候補に選出された経歴を持っています。

ボールの扱いがうまく、体格で悩むサッカー少年に希望を持たせてくれる選手でした。

体格のハンデを運動量でカバーした男 桂秀樹

所属クラブ
1992年-1996年 横浜フリューゲルス
1997年-2001年 川崎フロンターレ

こちらもJリーグ創成期に横浜フリューゲルスで活躍した桂秀樹選手。

サイズは160センチ58キロと、向島選手と同等くらいの小柄な体形でしたが、フリューゲルスの前線で活躍しました。

桂秀樹選手といえば、ボールコントロールに長けており、独特のリズムのドリブルでサイドから中央に切り込んでいくスタイルが持ち味。

運動量も非常に豊富で、献身的に前線からチェイスするため、味方のDFからすれば非常に有難い選手だったと思います。

ドリブルで流れを変えれることが出来るので、劣勢の試合や変化が必要な場面で投入されることも多かった選手です。

小さくても空中戦に強さを見せた! 鈴木将方

所属クラブ
1994年-1997年 ジュビロ磐田

Jリーグ創成期にジュビロ磐田で活躍した鈴木将方選手。

身長161センチ、58キロという体格を生かした小回りの利いたプレーでサポーターを沸かせました。

中山雅史と2トップを組み、裏への抜け出しや高いドリブルテクニックでDFを翻弄。1994年にはリーグ戦29試合に出場し7ゴールを奪う活躍を見せました。

鈴木将方選手といえば、空中戦の強さ!

クロスにタイミングよく飛び込んで、自分より大きな外国人DFに競り勝つことも珍しくありませんでした。

非常にテクニックがあるため、サッカー選手引退後はフットサル選手としてもプレーしました。

スッポンマークが代名詞 本田泰人

所属クラブ
1992-2006 鹿島アントラーズ

Jリーグ創成期に鹿島アントラーズで活躍した本田泰人も身長166センチ、64キロと小柄な選手でした。

本田泰人選手といえば、Jリーグ開幕時を代表する守備的MF。

特に相手のキーマンにぴったりとくっついて仕事をさせないハードマークは「スッポンマーク」と呼ばれました。

日本代表としても活躍し、代表で29試合に出場しました。

本田泰人選手の執拗なマークに、イライラして余計なファールをする外国人選手がカードをもらうシーンも珍しくありませんでした。

高速ドリブルは誰も止められない 田中達也

所属クラブ
2001-2012 浦和レッズ
2013-2021 アルビレックス新潟

167センチ、62キロという小柄な体格を生かして、スピードにのったキレキレのドリブルで多くのサポーターを魅了した田中達也選手。

トップスピードに乗ってフィニッシュまで持っていくその姿から「ワンダーボーイ」と呼ばれました。

田中選手といえば、とにかく速い!相手Dfを置き去りにしてゴールまで迫っていく姿は迫力がありました。

日本代表としても16試合に出場し3ゴールを決めています。

浦和レッズ退団後はアルビレックス新潟でプレー。大きな怪我もしましたが、38歳まで現役を続けた息の長い選手でした。