旭鷲山はどんな力士だった?生い立ち、取り口、実績を振り返る
旭鷲山は、モンゴル出身力士として大相撲で活躍し、日本の大相撲に新しい時代をもたらした力士の一人だった。
モンゴルから来日して大島部屋に入門すると、持ち前の運動能力と相撲センスを生かして番付を上げ、1990年代後半から2000年代にかけて幕内で活躍した。
後に横綱となる朝青龍や白鵬ら、多くのモンゴル出身力士が日本の大相撲で活躍する流れを作った先駆者でもある。
旭鷲山のプロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 旭鷲山昇 |
| 生年月日 | 1973年3月8日 |
| 出身地 | モンゴル・ウランバートル |
| 身長 | 180cm |
| 体重 | 141kg |
| 得意技 | 右四つ・上手投げ |
| 所属部屋 | 大島部屋 |
| 初土俵 | 1992年3月場所 |
| 最高位 | 小結 |
| 引退 | 2006年11月場所 |
旭鷲山の生い立ち
旭鷲山は1973年3月8日、モンゴルで生まれた。
少年時代からスポーツに親しみ、モンゴル相撲にも取り組んでいた。
1992年に来日し、大島部屋に入門。
当時、外国出身力士は現在ほど多くなく、モンゴル出身者が大相撲で成功することも珍しかった。
旭鷲山はその環境の中で相撲を覚え、徐々に番付を上げていった。
1996年には新入幕を果たし、モンゴル出身力士として幕内で活躍する存在となった。
旭鷲山の取り口
旭鷲山の魅力は、力だけに頼らない相撲だった。
相手の懐に入り込み、左右に動きながら相手の体勢を崩すなど、モンゴル相撲で培った技術も生かしていた。
また、足技や投げなどの技を繰り出すこともあり、正面から押し合うだけではない独特の相撲を見せた。
大型力士に対しても動き回り、相手に自分の相撲を取らせないことが得意だった。
そのため、対戦相手にとっては非常にやりにくい力士だった。
旭鷲山のプロ生活
旭鷲山は1990年代後半から2000年代にかけて幕内で活躍した。
最高位は小結。
三役まで昇進したことで、モンゴル出身力士が日本の大相撲の上位でも十分に戦えることを証明した。
幕内では安定して勝ち星を重ね、三賞では技能賞を受賞している。
また、横綱・大関を破る金星も獲得した。
旭鷲山の存在は、自身の成績だけでなく、その後のモンゴル出身力士の活躍という意味でも大きかった。
旭鷲山の実績
旭鷲山の最高位は小結。
幕内優勝はなかったものの、幕内で長く戦い、三役まで昇進した。
技能賞を受賞し、金星も獲得している。
また、現役引退後は政治家へ転身し、モンゴルの国会議員として活動した。
大相撲を離れた後も、日本とモンゴルの両国に関わる人物として知られるようになった。
旭鷲山はどんな力士だった?
旭鷲山は、モンゴル出身力士が大相撲で活躍する道を切り開いた先駆者だった。
独特の技術と運動能力を持ち、相手の力を真正面から受け止めるだけではなく、動きながら相手を崩す相撲を得意としていた。
後に朝青龍や白鵬らが横綱へと駆け上がっていく中で、その先駆けとなった存在だった。
大相撲の国際化という面でも、旭鷲山が果たした役割は大きかった。
