水戸泉はどんな力士だった?生い立ち、取り口、実績を振り返る
豪快な塩まきと左四つからの力強い相撲で人気を集めた関脇力士だった。
茨城県水戸市出身。高砂部屋に入門し、1978年3月場所で初土俵を踏んだ。194cm、163kgという大きな体を生かした相撲を武器に番付を上げ、1984年9月場所で新入幕。1986年9月場所には新三役となった。
最高位は関脇。幕内優勝は1回で、その優勝が水戸泉の力士人生を象徴する1992年7月場所だった。西前頭筆頭という立場から13勝2敗で初優勝を果たし、平幕優勝として大きな話題になった。日本相撲協会の公式記録では、生涯戦歴807勝766敗162休、幕内戦歴530勝556敗99休を残している。
水戸泉のプロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 四股名 | 水戸泉 眞幸 |
| 本名 | 小泉 政人 |
| 生年月日 | 1962年9月2日 |
| 出身地 | 茨城県水戸市 |
| 身長 | 194cm |
| 体重 | 163kg |
| 所属部屋 | 高砂部屋 |
| 得意技 | 左四つ・寄り・吊り |
| 初土俵 | 1978年3月場所 |
| 新十両 | 1984年5月場所 |
| 新入幕 | 1984年9月場所 |
| 新三役 | 1986年9月場所 |
| 最高位 | 関脇 |
| 引退 | 2000年9月場所 |
水戸泉の生い立ち
水戸泉は1962年、茨城県水戸市に生まれた。
大相撲の世界へ入るきっかけとなったのは、中学生の頃だった。力士のサイン会で高砂部屋の高見山と出会ったことが、入門につながったとされている。
1978年3月場所で初土俵を踏んだ。
当時から体格には恵まれていたものの、プロの力士としてすぐに結果を残したわけではなかった。
厳しい稽古に苦しみ、母親に「やめたい」と電話したこともあったという。それでも土俵を離れることなく稽古を続け、少しずつ力をつけていった。
1984年には十両へ昇進。
同年9月場所には新入幕を果たし、そこから幕内力士として長く活躍することになる。
水戸泉の取り口
水戸泉の武器は、194cm、163kgという大きな体を生かした四つ相撲だった。
日本相撲協会の公式プロフィールでは、得意技を「左四つ・寄り・吊り」としている。
左四つに組んでから相手を十分に引きつけ、体重を生かして前へ出る。
決まり手の傾向を見ても、寄り切りが44%で最も多く、寄り倒しも11%を占めている。
また、相撲ファンの間で水戸泉を語るうえで欠かせないのが、豪快な塩まきだった。
土俵に上がると大量の塩を高々とまき、その姿は水戸泉の代名詞となった。
その豪快な塩まきから「ソルトシェイカー」と呼ばれることもあり、取り口だけでなく土俵上の振る舞いでも強い印象を残した力士だった。
水戸泉のプロ生活
1984年9月場所で新入幕を果たした水戸泉は、幕内で経験を積みながら番付を上げていった。
1986年9月場所には新三役となり、関脇まで昇進した。
ただ、水戸泉の現役生活は決して順風満帆ではなかった。
膝や腰などの故障に悩まされることが多く、休場を繰り返しながら土俵に戻ってきた。
それでも大きく番付を落としては復活し、長く幕内で戦い続けた。
そして1992年7月場所、水戸泉の力士人生で最大の出来事が起こる。
西前頭筆頭で迎えた名古屋場所だった。
場所序盤から白星を重ね、13日目を終えた時点で2敗。優勝争いの単独トップに立った。
14日目には貴ノ浪を破って12勝目。
優勝争いをしていた力士たちが次々に敗れたことで、この時点で水戸泉の幕内初優勝が決まった。
千秋楽も白星で締め、13勝2敗。
平幕力士として見事に賜杯を手にした。
当時の水戸泉は、優勝が決まった際に弟の梅の里と抱き合って涙を流したという。
故郷・茨城から駆けつけた母親も優勝を見届けた。
苦労を重ねてきた水戸泉にとって、この優勝はまさに土俵人生の大きな花だった。
翌9月場所では関脇に復帰。
8勝7敗と勝ち越し、前場所の優勝が偶然ではないことを示した。
その後は故障との戦いが続き、次第に番付を下げていくことになる。
1999年5月場所には十両へ陥落。
それでも現役を続け、2000年9月場所を最後に引退した。
初土俵から22年以上。38歳まで土俵に立ち続けた力士だった。
水戸泉の成績と実績
水戸泉の生涯戦歴は807勝766敗162休。
幕内では530勝556敗99休を記録した。
主な実績は以下の通り。
- 最高位:関脇
- 幕内優勝:1回
- 十両優勝:1回
- 幕下優勝:1回
- 殊勲賞:1回
- 敢闘賞:6回
- 三役在位:11場所
- 幕内在位:79場所
- 生涯戦歴:807勝766敗162休
- 幕内戦歴:530勝556敗99休
特に1992年7月場所の幕内優勝は、水戸泉を語るうえで欠かせない実績だ。
また、三賞を7回受賞しており、上位陣を相手にしたときにも存在感を発揮した。
水戸泉の引退後
2000年9月場所で現役を引退した水戸泉は、年寄・錦戸を襲名した。
その後は後進の指導に携わり、現在は錦戸部屋の師匠を務めている。
日本相撲協会の公式プロフィールでは、現在の年寄名は錦戸眞幸。錦戸部屋を率い、力士の育成に取り組んでいる。
現役時代には大きな体を生かして土俵を沸かせた水戸泉だが、引退後は自身が経験してきた相撲人生を後進へ伝える立場となった。
水戸泉という力士を振り返る
水戸泉は、豪快な塩まきと力強い四つ相撲で昭和から平成の大相撲を彩った関脇だった。
194cmという長身と大きな体を生かした左四つからの寄り、そして豪快な吊り。
その相撲は決して小細工を中心としたものではなく、自分の体を生かして真正面から相手とぶつかるものだった。
一方で、現役生活では度重なる故障にも苦しんだ。
それでも土俵を離れず、長い現役生活を送った。
そして1992年7月場所。
西前頭筆頭という厳しい番付から13勝2敗で幕内最高優勝を果たした。
何度も故障に苦しみながらも土俵に戻り続け、最後には大きな賜杯を手にした。
それが水戸泉という力士だった。
現在は錦戸親方として後進を指導している。
現役時代の豪快な塩まきとともに、1992年名古屋場所で見せた劇的な初優勝は、今も水戸泉を語るうえで欠かせない一番の記憶となっている。
