智乃花は、27歳という異例の年齢で大相撲の世界に入り、わずか2年足らずで小結まで昇進した異色の力士だった。
本名は成松伸哉。熊本県八代市出身で、日本大学では相撲部の主将を務め、1989年には全日本相撲選手権で優勝してアマチュア横綱となった。
大学卒業後は大相撲には進まず、山口県で保健体育の教師として働いていた。しかし、大学の後輩である舞の海の活躍に刺激を受け、27歳で立浪部屋に入門する。
1992年3月場所で初土俵を踏むと、同年11月には十両、1993年7月には幕内へ昇進。1994年1月場所には新三役となる小結まで駆け上がった。
「センセイ」の愛称で親しまれた智乃花は、華々しい経歴だけでなく、さまざまな技を繰り出す相撲でもファンを楽しませた力士だった。
智乃花のプロフィール
| 項目 |
内容 |
| 四股名 |
智乃花 伸哉 |
| 本名 |
成松 伸哉 |
| 生年月日 |
1964年6月23日 |
| 出身地 |
熊本県八代市 |
| 身長 |
175cm |
| 体重 |
117.5kg |
| 所属部屋 |
立浪部屋 |
| 出身大学 |
日本大学 |
| 初土俵 |
1992年3月場所 |
| 新十両 |
1992年11月場所 |
| 新入幕 |
1993年7月場所 |
| 最高位 |
小結 |
| 引退 |
2001年11月場所 |
智乃花の生い立ち

智乃花は1964年、熊本県八代市に生まれた。
相撲選手として本格的に頭角を現したのは、日本大学へ進学してからだった。
日本大学相撲部では主将を務め、アマチュア相撲界で実績を残した。1989年には全日本相撲選手権で優勝し、アマチュア横綱の称号を手にしている。
しかし、大学卒業後に選んだ道は大相撲ではなかった。
山口県で中学校や高校の保健体育教師となり、教壇に立ちながらアマチュア相撲の指導にも携わっていた。
そのまま教師として人生を歩んでいく道もあったが、転機となったのが大学の後輩だった舞の海の活躍だった。
舞の海が大相撲で小兵力士として活躍する姿を見たことで、自分も大相撲の世界に挑戦したいという気持ちが強くなっていった。
そして27歳で教師を辞め、立浪部屋の門を叩く。
当時としても非常に遅い年齢での入門だった。
1992年3月場所、幕下付出で初土俵。
すでに大学相撲で実績を残し、社会人として教師も経験していた智乃花にとって、大相撲への挑戦は人生を大きく変える決断だった。
智乃花の取り口
智乃花は175cm、117.5kgという体格で、当時の幕内力士の中では小柄な部類に入った。
しかし、大学相撲で培った技術を生かし、体格差を感じさせない相撲を見せた。
得意としていたのは右四つと下手投げ。
相手の懐に入り、右四つから相手を崩して投げる形を得意としていた。
また、下手投げだけではなく、内掛けや切り返しなどの技も使いこなした。
智乃花はさまざまな決まり手を繰り出す「業師」としても知られ、舞の海と並んで小兵力士の代表的な存在となった。
舞の海が素早い動きや独特の技で相手を翻弄するタイプだったのに対し、智乃花は右四つになってからの寄りや下手投げなど、正面から相手と組んで勝負する相撲を得意としていた。
身長や体重だけでは相手に対して不利に見える場面でも、相撲の技術と経験で対抗する。
そこが智乃花の面白さだった。
智乃花のプロ生活
初土俵からの出世は非常に速かった。
1992年3月場所に初土俵を踏むと、同年11月場所には十両へ昇進。
さらに1993年7月場所には新入幕を果たした。
幕内でも結果を残し、1994年1月場所には新小結に昇進。
初土俵からわずか11場所で三役まで上がったことは、智乃花のキャリアを象徴する記録となっている。
しかも、初土俵を踏んだ時点ですでに27歳だった。
普通なら力士としてのキャリアが短くなっても不思議ではない年齢からスタートし、わずか2年足らずで小結まで到達した。
この異例の出世によって、智乃花は大きな注目を集めるようになった。
一方で、小結昇進後はケガにも苦しめられた。
幕内では長く安定して上位に定着することはできなかったものの、技術を生かした相撲で存在感を示した。
現役生活は2001年11月場所まで続き、約10年にわたって土俵に上がった。

智乃花の成績と実績
智乃花の生涯戦歴は379勝381敗78休。
幕内では104勝121敗15休を記録した。
最高位は小結で、幕内在位は16場所。
三役在位は1994年1月場所の1場所だった。
主な実績は以下の通り。
- 最高位:小結
- 幕内在位:16場所
- 幕内戦績:104勝121敗15休
- 生涯戦績:379勝381敗78休
- 幕下優勝:1回
- 技能賞:2回
- 初土俵から11場所で小結昇進
特に印象的なのは技能賞を2回獲得していることだ。
大きな体格や圧倒的なパワーで勝負するタイプではなかったが、技術を駆使して勝負する力士として評価されていたことが分かる。
智乃花の引退後
2001年11月場所を最後に現役を引退した。
引退後は親方として後進の指導に携わり、年寄名跡は智乃花、浅香山を経て玉垣となった。
現在は玉垣伸哉として大島部屋に所属し、後進の指導を続けている。
2024年には、宮城野部屋の師匠代行を務めたことでも話題になった。
元小結としての経験だけでなく、大学相撲、教師、親方というさまざまな経験を持つことも、智乃花の大きな特徴となっている。
智乃花という力士を振り返る
智乃花は、一般的な力士のキャリアとは大きく異なる道を歩んだ力士だった。
大学時代にはアマチュア横綱となりながら、卒業後は大相撲に進まず、保健体育の教師として教壇に立った。
そこから27歳で大相撲へ転身。
初土俵からわずかな期間で十両、幕内、そして小結へと駆け上がった。
現役時代は小柄な体格を技術で補い、右四つや下手投げを中心とした相撲を見せた。
「センセイ」という親しみやすい愛称もあり、舞の海らとともに平成初期の大相撲を彩った小兵力士の一人だった。
大相撲で長く活躍することだけが、力士のキャリアではない。
一度は教師として別の道を歩みながら、27歳で土俵に挑戦し、小結までたどり着いた。
その異色の経歴と技術を生かした相撲こそ、智乃花という力士の大きな魅力だった。